老いも若きも11号|日本の伝統食
最近気がついたことなのですが、仕事の内容とか量とかは年齢に関係がないような気がします。
といいますのは、当センターに最高七十五才のおばあさんが来て、百姓仕事やら梅の仕事等を手伝ってくれています。
普通なら隠居をして若い人たちの厄介になっているところでしょうが、まだまだやる気充分で仕事の出来具合が実に立派なのです。
若い人を叱咤激励することは度々ですし、自分のことのように仕事の段取りを頭の中で立てていて仕事に裏表がない、それどころか皆を引っ張っていってくれるところがある。
その仕事ぶりにはいつも頭の下がる思いがしています。
これはやはりその人の過去の食生活の左右するところが大きいと思います。
”食は人なり”といいますが、伝統食を守っている人には昔の日本人が持っている気迫といいましょうか、日本人的な心意気とでもいうものが自然に備わっているようです。
伝統食といいますと、我が夫もその代表的な人物だと思います。
私の手づくりのものしか食べない、自家製の醤油や味噌で味をつけないと気に入らないといった頑固者です。
私が多忙で食卓を整える暇がないときは、漬物とジャコで玄米めしを食べてくれるといったところがあり「わしはほんまに世話のない人間や」と言っていますし、確かにそんな面もあるのですが、私が留守をする時は二日なら二日分、三日なら三日分のおかずを全部用意しておかねばならず、外食をしてくれませんので融通はききません。
時には世間の旦那のようにたまには外で食事をしてくれてもいいのにと思うことがありますが、それは私の気ままということだと思います。
夫が伝統食しか食べないというところに夫の健康があり、私の健康があるのでしょうから有り難いことだと感謝こそしても、文句の言うところなんか全然ないと思い直しています。
身土不二
水野南北が”食は人なり運命なり”といった言葉は不滅の名言であると思います。
その土地で出来たその季節のものを食べ続けることにより、根気、思いやり、愛情といったものが育っていくように思います。
昔のような日本的な情緒が失われつつある現在、食生活から見ると世界各国のあらゆる食材が手に入り、料理もバラエティーに富んでいることはある面から視ると決して幸せとは言えないのではないか、とそんな気がします。
日本人ですから日本の土地で出来るものを食べるとしたら、今年これは不作だったから分けあって食べようねとか、この夏は日照り続きだったから秋の作物は影響を受けたとか、あるいは又、冬の寒さが稲の豊作を呼ぶといったことは農業に携わっている人はもちろんのこと、土とは関係のない消費するだけの人間にもそんな季節の移り変わりを肌で感じることが出来、食べ物の大切さが身に染みるのではないでしょうか。
不作だからといって対策も練らずに安易に輸入などしてほしくないと切に希望しています。
食生活の内容を工夫し自給率を上げていくことが、日本人が日本人らしく生きていく第一歩なのではないかとそんなことを考えている昨今です。
新製品が出来ました
沖縄の黒砂糖100%で漬けた梅ジュースです。水で割ってジュースに。
咳がでるときはそのままでも。
百姓あれこれ
五月一八日、一九日と田植えをしました。
今年も紙マルチを敷いての田植えでした。
去年初めて紙マルチを敷いてした時点では、あまりに手間がかかるので早乙女達に気の毒で来年はどうしょうかなあという迷いがありましたが、上手く紙が敷かれている所はその後全然草が生えてこないので効果はバツグンという感触を得ました。
紙と紙の継ぎ目をよく重ねるとか、端の方まで出来るだけ紙を丁寧にのばすとか、今年はより工夫して植えてみました。だから田ノ草で苦労することはあまりないでしょう。
除草剤で先祖から預かっている大切な田んぼを汚したくありませんし、汚染された米を食べたくありません。
そしてこの龍神村の人達にとって、大きな財産である日高川を汚したくありません。
平成9年5月発行
寒川 殖夫・賀代